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第五章 recreation

娯楽・行事

南の島の娯楽といったら何を思い浮かべるだろうか? 島の人たちは何を楽しみに週末を過ごしているのだろう?
日常にエンターテインメントがあふれている日本人からすれば素朴な疑問だが、南の島の娯楽は案外少ない。
ミクロネシアのなかでは発展しているグアム島やサイパン島でも、週末の娯楽といえばビーチバーベキューだし、
大して事件らしい事件もなく至って平和な地方の島々では、年に一度開催される行事こそが一大イベントなのだ。
■カメがウサギに変身する日
 ミクロネシアの美しい島々は「あ~、こんな島で暮らせたらなあ」と呟きたくなるような環境だ。しかし、実際そんな島に数年間暮らしていた日本人は「もうそろそろ日本に帰ります。とてもいい島ですけど、ここで暮らしてると自分の行動が日に日にのろくなっていくのがわかるんです。急がなくなる。走らなくなる。そして太る。このままずるずる居たら社会復帰できなくなってしまう」と、帰国してしまった。
 
 確かに・・・島の人たちを見ると「急がない、走らない」は鉄則のようで、「太っていく」も大方うなずける。というのは、十代の少女の頃はみな痩せていて美しいのだが、結婚して出産するとその美貌はどこかへ葬り去られ、たっぷり脂肪をつけてしまうからだ。
 オバさん化した女性たちは体重の増加は気にな
るようだが(体重計を見て溜め息をついたりしている)、かといってエクササイズに励んだり、ジョギングはしない。
 
 ところが、横綱級のオバさんたちが、一変して飛んだり跳ねたりする日がくる。
 年に一度の村の運動会だ。この日だけは「カメがウサギに変身」すると言ってもオーバーじゃないくらい老いも若きもメいっぱいジャンプしたり(と、本人たちは思っている)、全力疾走したりする。 
 
 運動会は日本統治時代に始まったもので、その名残りからミクロネシアでは「ウンドウカイ」と、日本語のままで呼ばれている。島によって開催時期や回数は違うが、共通するのはあくまで得点やスピードを真剣に競う大会でなく、みんなでワイワイ楽しむ娯楽であることだ。

■歓声が響く素朴なウンドウカイ
 
 コスラエ島では毎年9月に「開放記念日」のイベントとして各村で運動会が行われる。普段は穏やかな島民性のコスラエの人たちも、この日ばかりは大変な熱狂ぶり。
 
 種目は、バレーボール、ソフトボール、バスケットボール、短距離走、バトンリレーなどがメインで、地区によってカヌーレースや、綱引き、梯子障害物競争などいろいろある。各種目が男女、年齢別に競われることが多い。最近は、運動会も体育館を利用したインドアに移行しつつあるが、やはり見ていて面白いのは、校庭で繰り広げる昔ながらの運動会。天候に左右されるリスクはあるが、屋外の開放的なムードが楽しさを一層盛り上げる。

 島の中心であるトフォール地区は、1996年にミクロネシア全域の島の人々で競う「ミクロネシアゲーム」が開催され、立派な体育館が建てられた。この地区住民は館内でバスケットボールをしたり、コートではテニス、フィールドではトラック競技をするようになったが、他の地区は相変わらず小さな学校の校庭で草野球やかけっこをしている。スコールが降ると選手はびしょ濡れ、転べば全身泥だらけ。それでも一日中、応援歌と笑いが絶えない島らしい運動会が繰り広げられている。
 
 運動会はどの種目も「組み」対抗で競う。これが「イチクミ」「ニクミ」「サンクミ」と日本語で呼ばれる。昔、日本にあった「隣組」だ。アナウンスで「イチクミ エンド ニクミ」と呼ばれると、オバさん選手団はテンションを上げるためか、自ら応援歌を合唱しながらが登場する。リーダー格のオバさんが前に出て激しいアクションで踊ったりもする。そしてその興奮が収まった頃、突然競技がスタートする。 
 
 組対抗と言っても、選手はみな親戚か知人だから、誰かが失敗すれば敵味方なく笑いころげて大騒ぎ。野球に出場している自分の夫がミスすれば、奥さんがグランドへ飛び出して行って夫の尻を叩いたり、好プレーすると抱きしめてキスしたりと、とにかくもうハチャメチャである。
 だから見ていて楽しいのは、競技よりも周りで激励を飛ばす応援団の方だ。
 
 組ごとに揃いのユニフォーム(赤や青、ピンクの同色のTシャツ)を着たオバさんたちが一丸となって歌い、パフォーマンスを繰り広げる姿。オバさんたちは、普段、日曜に教会で歌っているから合唱はお手のもの。そのコスラエソングをゴスペルのようにパートパートに分かれて美しく合唱する。そして、歌い終わるとまた絶叫し、応援合戦に夢中になる。

 なかには突如グランドに飛び出して、持参した傘を地面に叩きつけたりする。怒っているワケでなく、これも選手を激励するコスラエ流パフォーマンス(だからクリスマスシーズンはプレゼント用に傘が売れる)。
 かと思えば小錦のような体型のオバさんが出てきて尻をフリフリして踊ったり、さらにはグラウンドの選手と一緒に走り出す始末。場内はエキサイティングなオバさんたちの一大ステージ。会場まるごと大興奮といった感じである。
 
 こうして2日間に渡って、走り、飛び、笑い、一年分の運動量とストレスを解消したような大運動会は、幕を閉じる。ちなみに入賞者への賞品は、袋入りの洗剤や砂糖。地区によっては「賞金」を出すところもある、といっても50セントや1ドルだからかわいい。 
 
 そして、運動会の翌日が日曜にあたると、オバさんたちは何事もなかったように、すました顔で教会へ行き、今度は「応援歌」でなく「賛美歌」を合唱するのだからその変貌ぶりもまたア然とする。

 唯一、前日の白熱した運動が「夢」でなかったことを物語るのは、壊れた傘やビーサンが転がった「戦の跡」のような校庭だけ。こうして島はいつものように平和での~んびりした毎日に戻ってゆく。翌年9月の大運動会のその日まで。


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■一年でもっとも楽しいクリスマス
 どの島も11月に入ると、そろそろクリスマスの準備が始まる。12月ともなればホテルやレストランに飾られた豆電球のイルミネーションがいっそう華やかだ。 
 ホテルや商店が少ないコスラエのクリスマスは、ミクロネシアのなかでは地味だが、12月25日はどこにも増して華やかな催しがある。コスラエの人々にとって一年でもっとも重要なイベント、村の教会が催すクリスマスセレモニーだ。
 
 この日のために、女性は揃いのコスチュームを作り、子供には真っ白なドレスを新調する。ドレスの仕立ては親戚や知人に1~2か月前には依頼するという。何ごともおっとりタイプの島民性からは、信じがたいくらい周到な準備だ。とにかく彼らのクリスマスセレモニーに対する熱の入れようは、すごい。

 なぜ、コスラエでセレモニーがそれほど重要かというと、教会で披露される「マーチング」にある。数十人が歌いながら足並み揃えて行進を組ごとに披露するからだ。
 娯楽の少ないコスラエでは、みんなで参加するこうしたイベントにかなり熱心である。村や組対抗の行事に競争心を燃やす島民性に加え、クリスマスセレモニーは敬けんなクリスチャンであるがゆえ、強い権力を持つ教会が開催していることも要因だろう。
 
 12月になると普段は家でゴロゴロしながらビデオを見ている人たちも、夜な夜な広場や教会に集い歌とマーチの練習に励む。数十人が歌いながらステップを合わせ、リーダーのベルの合図で方向転換し、直進したりクロスして美しく行進する練習を繰り返す。
 25日が近づくと練習にいっそう熱が入り、夜11時過ぎまで続くこともある。本番には最高のマーチが披露できるよう同じ組(地域)の人々が一丸となって練習に余念がない。 
 どんなに完璧なマーチを披露しても、順位もないし、運動会のように景品が出るわけでもない。それでも人びとは熱心だ。こうして毎夜練習された成果が、クリスマス当日披露される。

■アメ降るセレモニー
 クリスマス当日。教会は朝からピンク、水色、赤、白、緑など、揃いのワンピースを着た女性でごった返している。マーチに出場するメンバーは、髪飾り、ワンピース、ビーチサンダルと、頭のてっぺんから足の爪先までバッチリお揃いのコスチューム。お金もずいぶんかかっている。
 
 10時を過ぎた頃、教会内では「一組」から順にマーチが始まる。ベルを持ったリーダーを筆頭に、40~60人が入場、そしてマーチを披露する。
 同色の衣装でキメた人々が教会いっぱいに整列し、歌いながら「X」「M」など人文字を作ったり、列を入れ代えるなど「技」を繰り広げる。我々の目からは学芸会のように素朴なマーチだが、コスラエでは最先端のパフォーマンス!
 
 毎年、あれこれ趣向を凝らし、創作している。いかにラインを乱さず美しい行進ができるか、どれだけ「技」が入っているか、美しくハモれるかが本番での見せどころ。
 マーチに楽器は一切使わず、コスラエ人が得意なアカペラ。バス、テノール、アルト、ソプラノの迫力ある四重唱が教会に響き渡り、日曜の礼拝同様、大合唱となる。
 
 マーチを披露し終わると、各自が用意したキャンディーやチョコレート、ガム、クッキーなどを、「メリークリスマス!」と言って、床までところ狭しと座っている観衆目がけて、バラ撒きながら退場して行く。顔に当たると痛いほど菓子が雨のように降ってくるのだ。
 観衆のなかに家族や友人を見付けると、集中的にそこを目がけてアメを撒く。黙っていてもスカートの上にはキャンディーが何個も乗ってくる。通路から椅子の下まで至るところに菓子が散乱し、子供たちの争奪戦で大騒ぎ。しかし、ものの10秒で菓子はキレイになくなる。
 昼食をはさんで引き続きマーチが披露され、午後四時頃までこうした楽しいクリスマスセレモニーは続く。12月25日はコスラエが一年でもっとも華やかで、厳粛で、楽しい日だ。

■出張クリスマス
 どんなに敬けんなクリスチャンでも、なかには教会へ行けない人たちもいる。
 病気で寝込んでいたり、身体が不自由なお年寄りなどだ。そういった人たちのために12月26日からは「出張」クリスマスが始まる。
チャーチメンバーと数人の合唱隊が家庭を順に訪問し、クリスマスに教会で歌うチャーチソングを披露してまわるのだ。 
 
 20人くらいの合唱団が庭に並んで数曲を合唱。歌い終わると「メリークリスマス!」といって合唱隊の人たちがおばあさんが座っている家の中にキャンディーをバラ撒く。年に一度、クリスマスの幸せを運ぶボランティア合唱隊。おばあさんは、ほんとうにうれしそうだった。
 
 以前、病気で長く入院していたチャーチメンバーの人を元気づけるために、夜、村の人たちが集まって病院へ行ったことがあった。
 その集いの中心メンバーは「入院しているチャーチメンバーが『教会の賛美歌が聞きたい』と言ってるんだ。それでこれからみんなで病院に合唱しに行くんだよ」といい自分のピックアップ車に人を満載にしていた。その夜、集まった村の人々は100人近く。病院でアカペラの大合唱が繰り広げられた。
 
 コスラエはお年寄りを大切にする島だ。親や年長者を敬い礼儀正しく接する。お祖父さんや父親にチャーチメンバーがいる家庭ではそれが顕著。ほんとうはビールが大好きな40代男性も父親の前では禁酒、禁煙。
 日曜の礼拝を見ても、クリスマスを見てもわかるように、村の教会が島の社会に大きな影響力を持ち、キリスト教とは切り離せないのがコスラエ島だ。


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