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第六章 worth・money

​島のお金

ミクロネシアでは、貝殻、べっ甲、ジュゴンやクジラの歯や骨、そして石(!)が、お金のように価値があり、家宝として代々大切に受け継がれている。

代表的なものはヤップ島の「石貨」や「貝貨」、パラオ諸島の「ウドウド」。これらが高価とされてきた基準は、珍しい、美しい、労力が伴うの三点。

古来、交易によってどこそこから持ち込まれたものだとか、島では容易に手に入らない美しいものであるとか、穴を開ける技術がその島にはなかったとか、そういうたぐいの来歴や色形が珍重されて高い価値を持つことになった。 

そして、それらの多くは現代も伝統財貨として一族に世襲されているというのだから驚く。

■パラオ諸島のお金

(伝統貨幣 ウドウド)

 ミクロネシアではパラオ諸島にしかない、それも位の高い家系の女性たちが持つ珍しい家宝が「ウドウド」と呼ばれる石のようなものだ。英語で「マネービーズ」と呼ばれていることからもわかるように、パラオではお金のように価値がある。
 島じまで価値のある装飾品が「海の物」であるのに対
し、パラオ諸島のウドウドは一見すると石のようだが、素材はセラミックではないかと言われている。
 これらがどこから伝来されたのかは数々の伝説はあるものの未だ謎のままだ。かつてパラオ諸島の最北端にあったガルワンゲル環礁で坐礁したポルトガル船と物々交換したとか、あるいは当時立ち寄っていた交易船から入手したとか、グアム島と交易していた中央カロリン諸島(広大なミクロネシアの海域の中央あたりに位置する離島)の人々が手に入れたビーズを、「サウェイ(交易)」で交換したなどが推測されているものの、確証はないし、年代的にもはっきりしていない「ナゾのお金」なのだ。

 ウドウドは、個々の形や大きさ、色がさまざまで、家柄や身分を現し、高価なものは上流階級しか持てないという。氏族の系譜にのっとって、母から娘へ、娘から子へと受け継がれ、継承する者にだけ一個一個の名前と由来が口伝されるそうだ。

 母系社会のパラオでは、結婚すると夫の母のウドウドが一族となった証として妻に贈られる。ウドウドをたくさん持つ大きな氏族は子供でも受け継ぐ場合もあるというが、ほとんどは結婚(結納)や相続のときに贈られるそうだ。もし、離婚した場合は、妻は夫の母へ返すしきたりがあるという。
 
 まれに現金が必要になって、ウドウドを米ドル(現代のミクロネシアの通貨)と交換することもあるそうだが、その場合はそれなりの口上(ウドウドの価値を示す来歴)がないと交換できないのだという。
 
 一度、高位なパラオ人のサリーさんに「ぜひ家宝のウドウドを見せてほしい」とお願いしたところ、「出すのに時間がかかるから、今すぐは無理よ。今度見せてあげるからまたいらっしゃい」と言われ、日にちの約束をして何度か足を運び、ようやく見せてもらった。
パラオいち大きいというその黄色いウドウドは「マウウ」と呼ばれ、サリーさんは「夫のクランから受け継いだ」と誇らしげに語った。私たち外国人から見れば、単なる黄色い石のようだが、パラオ人にとっては相当価値が高いものらしい。 
 
 ウドウドは価値があればあるほど家のなかで権力がある女性が大切に保管し、冠婚葬祭やパラオの出産儀礼「オマガッタ」のときにしか身につけないという。
 たまに年配の女性が小さなウドウドをネックレスにしてつけている姿を見かけるが、それらはあまり高価ではないのだろう。もちろん、若い女性がファッションとしてつけているものや、店で売られているお土産品は、バリ島などから入ってくる模造品。金づちで叩けば簡単に割れてしまう。本物のウドウドはダイヤモンドのように堅く、研磨がきかないのだという。
 
聞くところによると、戦前、日本のある時計会社がウドウドに穴を開けようと試みたが、固すぎて歯が立たなかったという話がある。
 高価なものは数百万円、あるいはもう一桁上の値打ちがあるのでは?と囁かれるウドウドは、パラオの上流階級の女性社会に息づく謎に満ちた宝石だ。


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■ヤップ島のお金

(伝統貨幣 石貨「ライ」「フェ」)

 パラオ諸島の隣の島ヤップ島には、さらに驚くべき石のお金がある。こちらは石そのものがお金となった「石貨(せっか)」、英語でストーンマネー、ヤップ語では「ライ(もとは石材の意)」や「フェ」と呼ばれる。
 石貨は古代原始人を描いた漫画にでてくるような中央に丸い穴の開いた石のお金で、古来ヤップ人がパラオ諸島までカヌーで遠征し、岩山から石材を切り出して造ったものだ。小さいものは手のひらサイズ、大きなものは直径4メートルを越す。巨大な石貨ともなれば重さ5トンもある。
 
 石貨は大きければ高価というわけではない。あるものは大きさの割りに低価値(魚としか交換できなかったとか)、あるものは小さくても高価値(何匹もの豚と交換できたとか)。
 昔話によれば、島も買え、さらには人の命まで買える石貨があったというから驚く。石貨の価値はパラオ諸島のウドウドと同様に個々の石貨が持つストーリー(来歴)と、それを語る弁舌能力で決まるのだ。 

 「ヤップ人は頑固だ。今どきストーンマネー(石貨)なんか使ってる」と、まわりの島の人たちはいう。それもそのはず、ヤップ島には大小様々な石貨がズラリと並べられているストーンマネーバンク(石貨銀行)と呼ばれる場所まであるからだ。

 銀行と言っても、預けておいても利子はつかない。この石貨の所有者は、石貨銀行がある村の人々だけでなく、離れた村に住む人もいる。というのも、大きな石貨は動かさず、「所有権」が移動するだけだからだ。それも「オカウ村に置いてある私の石貨で」というように互いの口約束。譲渡しても契約書も交わさなければ、通常は名札もつけない。 

 信じ難い話だが、海に沈んでいる石貨も効力を持つという。「前の海に沈んでいる私のアノ石貨で」と、引き潮の時にしか現れない石貨や、海中に沈んでいる(と口伝される)ものにまで価値が生きている。ヤップ人の粋な信用取り引きである。
 石貨には目に見えない島民相互の信頼が宿っているのだ。
 
 通常、石貨はメンズハウス(集会所)の周りなどに並べられている。
価値の高い石貨は、土地の相続や結納、大きな謝礼や謝罪に使用する。現代ではアメリカドルと併用されることが多いようだが、それでも石貨なくして物ごとは円滑に運ばないと島の長老はいう。 
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変わったところでは「パスウェイ」と呼ばれる石畳の道に敷かれていたり、現在も存在しているかは不明だが、石貨の穴に用を足す「便所石貨」なるものまであったとか。 
 
パスウェイ石貨_edited.jpg
 そもそも石貨の原料となる「結晶石灰岩」はヤップ島にはない。隣のパラオ諸島が原産地だ。ヤップの男たちは原石を切り出しに450キロメートル離れたパラオ諸島のマラカル島へ帆船カヌーで行き、長い歳月をかけてヤップへ持ち帰った。そのためパラオ滞在中や航海中に払った労力や犠牲、歳月の長さなどが石貨の価値に影響する。石貨を運んでくるまでにどれほどの苦労が伴ったかが口伝され来歴になるのだ。

 ヤップには最古にして最高価の2つの石貨がある。1つは1つ穴のスタンダードな石貨。もう1つは中央に2つ穴が開いている珍しい形だ。
   その2つ穴の石貨はその昔、ヤップ島がそっくり買えるとまで言われたそうだ。 

   これら高価な石貨は、ある2人の伝説の人物に由来する。 
   ヤップ島にパラオ諸島から初めて石貨を持ち帰ったのは、古代の航海師アヌグマンとファサアン。2人がパラオから運んできた石貨は、ファサアンの2つ穴の石貨が「ディゴー」と、アヌグマンの1つ穴の石貨は「ファリ・ヨー」と名付けられ、ヤップで最も高い価値を持ち今日に至っているそうだ。  

   伝説では「最初にヤップに持ち帰った石は月のように丸く、目が潰れんばかりに白く輝いていた」とある。白くキレイな結晶石灰岩は、古代ヤップ人にとってダイヤモンドみたいなものだったに違いない。  
   石貨の原形はクジラの形から始まった、と伝えられている。円形になるまで試行錯誤しながら長い歳月を要した。  
   ある長老の話をまとめると、「最初にパラオへ石を切り出しに行った男たちはこの世で最も大きな魚(クジラ)の形にしてヤップ島に持ち帰ろうとした。だが、穴を開けて運ぶにその形は不都合だった。その後、三日月や半月を試み、ある夜、空に浮かぶ満月を見て丸い形に造ったところうまくいった。だから『ライ』とはヤップ語で、もとはクジラの意味。男たちが命をかけてカヌーで運んだライ・ヌ・ムウ(石とカヌー)こそ価値が高いのだ」と。  

   首長の話では、カヌーで運ばれた高価な石貨は表面に2重、3重の段があるのが特徴で、それらはヤップ本島でも数が少ないそうだ。 
   現在もヤップ島でよく目にする巨大な石貨は、後にアメリカ人の商人オキーフやドイツ人が帆船で大量に運んだもの。大型帆船で石貨交易が可能になってから、パラオ諸島で石切り作業をしていたヤップ島の石工は約400人にものぼったsぷだ。パラオ諸島から最後に石貨を運んだのは1932年というから、石貨交易は数世紀にも渡ったのだ。 ​   

   本来、石貨はカヌーに縛ったイカダに積んで運んだ。後に大型帆船が大型の石貨を大量に運搬するようになったが、その帆船を使う何百年も前から、ヤップ人はイカダに括り付けてカヌーで運んだのだ。古代ヤップ人の石貨に対する執念には驚くばかり。   

   そうして昔々、男たちが命をかけて運んだ石貨が、現代、私たちが見ることができるものだ。 
 
   石貨は、どんなに古くても苔むしていても、割れていても、1個1個に持ち主がいて認知されている。道端や林のなかに無造作に転がっていてもそれも誰かのものだ。無頓着に置いてあるのは盗難される心配がないため。盗んでも石貨の来歴が語れなければ、その価値はヤップ島では認められないのだから。  

   このように互いの「信頼」の上に成り立ち、それが口伝承され続けてきた石貨は、誇り高きヤップ人の最後のステータスシンボルといえるだろう。石貨はヤップ社会の共有財産だ。 
   しかしその一方で、ストーンマネーバンクを見学するにも入場料は米ドル、石貨が置かれている商店のドアにはクレジットカードのステッカーが貼ってある現実を見ると、数世紀も受け継がれてきたヤップ人の「粋な信頼」や「貨幣値観」はこれから先いつまで続くだろうか、と心配になってくる。こうしたヤップ独自の文化や価値観は、決して他の島では望めないものであるからだ。

■ヤップ島のお金

(伝統貨幣 貝貨「ヤール」)

 ヤップ島には石貨のほかに貝の貨幣「貝貨(ばいか)・ヤップ語で「ヤール」)も存在する。真珠がとれるシロチョウガイやクロチョウガイの2枚貝から作られる貨幣で、謝礼、謝罪、伝統的な儀式に使用されている。

 貝貨をたくさん所有する長老は、「ローカルメディスンを作ったお礼にもらった」と言ってたし、「私の家族がよその村で何か悪いことをしたら貝貨を持ってその村へ謝罪に行くんです」とも。
 石貨は屋外に置いて誇らしげに見せるものだが、貝貨は主にヤップ式解決法に使われるもので、謝罪や謝礼などの機会にしか見せることがないという。

 また、貝貨とは別に、ヤップ島には「ガウ」や「ギィ」、「ラン」「ンブル」などの貨幣も存在する。
 
 ヤップ本島の位が高い男性が所有する「ガウ」は、赤い貝を丸く削り、中央に穴を開けてネックレス状にしたもの。先端や、ところどころにマッコウクジラなどの海中生物の歯がつけてあり、高位な首長が所有する価値の高いガウは、歯が20センチ以上、ネックレスの全長は数メートルもある立派なものだった。  
 
 伝説によれば、最初にガウがヤップ島に持ち込まれたのは、石貨の由来と同じく古代のナビゲーター、アナグマンによって。
 「トラック諸島(現チューク諸島)へ航海にでたアナグマンは、貝の飾りを腰に巻き付けて踊っている女性たちを見て、その貝の装飾品の美しさに魅せられ、夜のうちにそれを九個盗み出してカヌーの竹の内部に隠し、ヤップ島へ持ち帰った」と伝えられている。 
 
 もとをたどれば、古来、ヤップ本島と離島間は朝貢システムがあった。東の外れの離島から西へ西へと向かい、離島の人々はカヌーに産物を乗せて島を転々と経由し、物々交換をしながらヤップ本島へ貢ぎ物を献上したという。
 
 ガウの素材は、メラネシアあたりから島伝いに交易されたものがチューク諸島へと渡り、ヤップ島あるいは離島のナビゲーターの手によって運び出されたのかもしれない。
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