top of page

第十章 canoe

​命の船

広大な海域に島々が散らばるミクロネシアを知るには、アウトリガーカヌーと航海術抜きには語れない。
古来、人々は丸木をくり抜いたカヌーにパンダナスの帆を張って大海へ漕ぎだし、水平線の彼方に「あるはずの島」を
目指して移動し続けた。
人々はカヌーにヤシの実や芋や豚を積み、星を頼りに大海を渡って、新天地を目指したのだ。
台風などの被害に見舞われてやむなく帆を上げたこともあっただろう。あるいは、冒険航海であったかもしれない。
人類にとって太平洋に散らばる島々への拡散は最後のフロンティアであった。コロンブスが太平洋を航海する数千年前に彼らは広大な海域の隅々まで拡散し、子孫を繁栄し続けた。偉大なる海洋民族。その末裔が今のミクロネシアの人々だ。

■太平洋を渡った民族
   
   ミクロネシア人の祖先は、移住年代の地域差こそあれ約4000年~3500年前にすでに航海術を持ち、パンダナスの帆を張った大型アウトリガーカヌーで太平洋を自由自在に航海していたという。
 残念なことに島々へ渡った人々は文字を持たず航海術は口伝のみだったため、現代でも民族の軌跡を確証するものはない。
 
 民族、言語、考古、植物学など多方面から解明された有力説では、西ミクロネシア(パラオなど)にはフィリピンやインドネシアなど東南アジアから、中央カロリン諸島(ヤップやチュークの離島)やその他の地域へはニューギニア方面からと、大きく分けて二方向から移動してきたのではないかと考えられている。

 では、その航海術とは何か?
 人間が自然現象の中から航路を導きだす「超人的な術」のことだ。
 計器のない時代、海の道をナビゲートしたのは、夜空に輝く星だった。記憶に刻み込
んだ星の位置で進路をとり、波や海流、カヌーに伝わる「うねり」を卓越した視力と身体でよむ。太陽、風、雲、鳥、漂流物、島の匂いなど、海上に起こるすべての現象に五感をこらして航海する。
 砂漠の民が太陽や星、砂紋をよみ、砂の大地を進んだように、海の民もまた星の位置で進路を計り、海の道を進んだのだ。そうして、島から島へと人々は広大な海域に拡散した。
 
■卓越した航海術

 驚くのは、そんな古代の技術が今だミクロネシアで生き続けていることだ。
 ヤップの離島サタワルや、チュークの離島プルワット、プルサックなど中央カロリン諸島の一部の島には、遠洋航海用カヌーが現存し、今も近隣の島々を行き来したり、漁労に使われているという。
 そしてわずかだが、ヤップ主島にもカヌー建造技術を持つ長老たちがいる。
 
​ その一人。普段から伝統衣装のフンドシ「スー」を着けるベチアル村長タマグ・ヨロン棟梁は、若者にヤップのカヌー建造技術を伝承しようと働きかけている。しかし、船外機付きボートが日常の足である人々に、時代遅れの木造カヌーや航海術はあまり魅力がないようだ。ヤップでさえ秘伝的価値は半ば失われているのが現状だ。
​ 
 タマグ・ヨロン村長のように、カヌー建造の設計図を「頭の中」に持つ棟梁たちは、すでに60代、70代以上の長老ばかり。彼らが技術を継承できなければ、ミクロネシアの優れたカヌーは、博物館のなかでしか見られないものになってしまうだろう。
 カヌーは海を走ってこそ、建造技術はミクロネシアの人々の手にあってこそ、生き続けると思うのだが、偉大な航海術とカヌー建造が後世に受け繋げるかどうか、それはかなり危ういようだ。

⇩写真をクリック・タップするとキャプションをご覧いただけます

■生活に息づくアウトリガーカヌー

 大型カヌーで海を渡る必要がなくなった現代では、島々で使われているのはもっぱら生活用の小型カヌーだ。
 航海用の大型カヌーが減少し続ける一方で、木造の小型カヌーは今なお村々で建造され、人々の生活の「足」、あるいは観光用として現役で活躍している。

 小型カヌーといっても大きさや用途はさまざまで、帆をあげて海を帆走できるもの、オールで漕ぎながら水路を巡って人や荷物を運んだり、水深が浅い海で漁をするためのもの、あるいは競技用の細長いカヌーなど、1人乗りの小さなものから6人くらいが乗れる中型カヌーまでいろいろだ。

 ミクロネシアのカヌーの特徴は、小型でも本体の片側にア
ウトリガー(浮き木)が取り付けられたシングルアウトリガーだという点。アウトリガーを片側だけにつけるのは航海用の帆船カヌーと同じだが、生活用の小型カヌーは帆船ではないため、アウトリガーは重りでななく文字通り「浮き」、浮力とバランスをとる役目だ。
 
 ハワイなどポリネシア海域に見られる船体が2つ連結された大きなダブルカヌー(双胴船)や、アウトリガーが両サイドについたダブルアウトリガーカヌーはミクロネシアでは発展しなかった。

 それは、ミクロネシア人の祖先が、星のように散らばる小さな島々へ定住したあとは、1艘のカヌーに大人数を乗せて長距離を移動し移住先を探す必要性がなかったため、あるいは、島と島の距離が短い離島間の行き来を速くするために、シングルアウトリガーカヌーが長い年月使われ続けてきたと言われる。
 
 確かに、ミクロネシアのシングルアウトリガーカヌーはコンパクトでじつに足回りがよい。ヤップ島の古老が楽しそうに語る昔話では、星がまたたく晴天の夜、村の浜から小さなカヌーを出して、親戚がいる隣の島へ「ふらっと」遊びに行くなどということが頻繁にあったというのだから、彼らにとってカヌーは愛車みたいなものだったのだろう。

 現代のミクロネシアの島々で、中型カヌーが帆をあげて意気揚々と海を渡る姿を見るのは本当に気分がよく、スカッとする光景であるし、見るからに年季が入った手造りカヌーで漁をする老若男女の姿はじつにたくましい。
 
​ ⇩写真をクリック・タップするとキャプションをご覧いただけます



 

bottom of page