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第四章 foods
地の糧
火山島や環礁島からなるミクロネシアの島々は、古来から食してきたタロイモやヤムイモ、タピオカ(キャッサバ)などの芋類、ココナツやパンノキの実、バナナ、パパイヤ、マンゴー、柑橘類などの熱帯フルーツが、手をかけずとも育つのだから、収入がなくても食べていける! それが南の島が「楽園」と呼ばれるゆえんだろう。
輸入米はお金がなければ手に入らないが、島特有の食べ物は田畑があればいつだって調達できるし、南国フルーツは熱帯の太陽の下で勝手に実る。現代では米を主食とする一方でこうした昔ながらのローカルフードへの依存度が高いのも事実だ。
島々ではヤシの実やイモ類などのローカルフードを日々の糧に、自給自足の暮らしを営む村や離島がまだまだある。
その代表格が調達が簡単なのがパンノキの実(パンノ実)だ。放っておいても実がなり、棒で実をもぎ落とすだけで手に入るのだから至極重宝。
初めてタヒチでパンノ実を見たヨーロッパ人が「苦労も労力もいらず、一生に10本この木を植えれば自分と家族への生計の義務を果たしたといえるだろう」と述べたというくらい。調理も簡単で保存食も作れる。広くオセアニアで古来から盛んに食べられており、パンノ実への依存度が高い島は多い。
パンノ実と並んで重要な主食がタロイモやヤムイモ、タピオカなどの根茎(芋)類だ。
畑になるイモの収穫はラクだが、田んぼのような湿地で育つタロイモ「ジャイアント・スワンプ・タロ」を掘り起こす作業は、実際にやってみるとそれはそれは重労働。力もいるし腰に負荷もかかる。島ではその作業を女性や子供たちまでやっているのだからすごい。
タロイモ田は一般的に近くに川が流れる奥まった土地で耕作されるため、雨量が少なく土壌が痩せているサンゴ礁島の離島では、地中の水が染み出るくらい深く地面を掘ってタロイモを作る工夫がなされるという。
田畑を持っていない家庭ではローカル市場やストアでタロイモやパンノ実を買う。調理された伝統食を売る島流コンビニだってある。「米よりタロイモの方が好き」という年配者や「一日一回はタロイモを食べないと力がでない」という働き盛り、「タピオカが一番好き」という子供もいるから、輸入米が主流の現代においても依然ローカルフードは人気だ。
面白いのは食されている伝統食が島によって異なる点。ポンペイ島は他島に比べてヤムイモを食す頻度が高く、ポンペイ島特有の宴会儀式「カマテップ」に供えるのもヤムイモだ。それがパラオへ行くとタピオカになる。日常の弁当も行事の特別食にもタピオカがかかせない。
パンノ実を主食にしているのはチューク、キリバス、マーシャルなど雨量が少なく土地が痩せているサンゴ礁の島々。逆に、豊かな山川がある自然に恵まれた島ではタロイモの栽培が盛んで、特にヤップ人は粘り気のあるタロイモを好む。
日本へ遊びに来たあるヤップ人は、タロイモと同じ種のサトイモを口にして「これはタロイモのようでうまい!」と、毎日食べていたという。
特筆は、どの島でも、どの実や根茎であっても「餅状」について食べる習慣があること。そんな島々で食されている「地の糧」の特徴的な料理をいくつか紹介したい。
■タブーが残るタロイモ料理 (コスラエ島)■
コスラエ島には「ファーファ」という伝統食がある。これはソフトタロと呼ばれるタロイモの一種を餅状にしたもので、蒸すか、茹でたあとに餅つきのように叩き潰して練っていき、平たく延ばしたり団子状に丸めたりしたもの。
その調理法ならどの島でも用いられているが、コスラエのファーファが特別なのは、神聖な食物として作る過程にタブーがあることだ。
まず、ファーファを作ることができる家系が決まっている。一部の男性(少数だが女性もいるらしい)しか作れず、その家庭では祖父から父へ、息子へと代々受け継がれる。クリスチャンがほとんどのコスラエ島では、権威があるチャーチメンバーのみが作れる食べ物だったとも聞く。
作られるのは祝い事などの特別の日。現在はパーティーなどの催しにも出されるが、本来は祝いの席の神聖な食物だったそうだ。そのため、ファーファを作る前には畑仕事をしてはならない、犬を触ってはならないなど、聖なる食物を作る前に手を汚してはいけないというタブーが現代にまで残っている。
実際に作る現場を見てみると・・・
「メシュメシュ」と呼ばれるバナナの葉の前掛けをした主人が、バナナの葉を一面に敷いた上に座ってペッタンペッタンとタロイモを潰していた。道具は小さな石杵(現地名:トゥク)と丸い木の台(現地名:ダーポエン)のみ。普段使う家庭用の杵はサンゴや木製だが、ファーファを作るときはコスラエの山中にある特別なブラックストーンから削り出した黒石の杵を使うという。石杵は1キロくらいはあるだろうか、小さいながらずっしりと重い。
ファーファの材料はソフトタロとココナッツミルクのみ。タロイモを蒸し焼きにして皮を剥き、餅つきのように叩きながら潰していく。タロイモが餅状になるとトゥクにくっついてしまうので、潰したバナナの実を塗りながらつくのだという。
餅状になったら掌を握って親指と人差し指の間から丸い団子状に押し出していく。上手な人が作ると大きさが均一の小さな団子ができあがるというから年季がいるようだ。それを皿に盛りつけて、ココナッツミルクと砂糖を煮詰めて作った甘いソースをかければ完成だ。
食すと柔らかくタロイモの粘りがあり、食感は日本の団子そのもの。タロイモ自体はそれほど味はないから甘いソースが決め手で、日本の「みたらし団子」といったところ。
また、団子状ではなく平なフラットファーファなるものもある。じつは丸い団子状にしたものは一般的にパーティー用のデザートに作るらしい。双方の作り方はまったく同じだが、フラットファーファは最後に甘くしたソースではなく、絞ったままのココナツミルクをたっぷりかけていた。聞けばフラットなほうが本来の伝統的な作り方という。
ファーファを食べるたびに思うのだが、土着の伝統文化がほとんど失われたコスラエ島に、なぜこのファーファだけが残ったのか? 島の長老たちに聞いてみたが答えは見つからなかった。
コスラエ島は疫病や天災、あるいは部族間の戦争によって島民の数が激減した歴史をもつ。おそらくその時点で多くの伝承は途絶えてしまったのだろう。忘れ去られた伝統のなかで唯一ファーファが残ったのは、味覚に対する人々の記憶が生き残ったためではないだろうか。家系の長(おさ)が作る神聖なタロイモ餅ファーファはミクロネシアのなかでも不思議なローカルフードの一つだ。
■老いも若きもタピオカ大好き パラオ諸島■
ミクロネシアのなかで最もタピオカが好まれているのがパラオ諸島だ。主食におやつにパーティーや行事にと、パラオ諸島では必ずと言っていいほどタピオカ料理がでてくる。他国の大統領や国賓が来島した際の歓迎会にもタピオカ料理がふるまわれていた。
タピオカと言えば、日本人には丸い粒々が入ったタピオカ(ドリンク)がポピュラーだが、その原料であるタピオカとはキャッサバと呼ばれる根茎。つまり芋だ。その根茎の澱粉から作られたものをタピオカ、丸い粒に加工したものをタピオカパールと呼ばれているが、パラオ諸島では根茎も、料理したおやつも総称してタピオカ(現地名:ディオカン)と呼ぶ。
生のタピオカをすりおろしてヤシの若葉に包んで蒸すと、ほんのり甘く、ねっとりしたウイロウのようで美味。ローカルストアへ行くと、葉に包んで紐で縛ったままの細長いタピオカが1本単位で売られている。また、来客がたくさん集うパーティーの主催者宅では、葉の中に細長く成形して蒸したタピオカが軒下に何十本もぶら下げられていた。聞けばパーティーに出す分と手土産に渡す分で百本以上も作るというから大変な作業だ。
タピオカは火を通すだけでほんのり甘みがでるのだが、パラオ諸島ではさらに砂糖を加えたココナッツミルクソースをかけたり、それを焼いたりして甘いデザートのように食べるのが好まれる。日本統治時代に根付いたおしるこやかりんとうなどの日本の甘味が現代まで残ったためか、甘いものに目がないパラオ人は多い。
そしてタピオカもタロイモやパンノ実と同じように、調理すると餅のような触感がでるため日本統治時代には「タピオカモチ」と呼ばれ、今でもパラオの古老たちは「これはパラオの餅です。美味しいですよ」と勧めてくれたりする。
■パンノキの実がモチに変身 チューク諸島■
パンノキの実(通称パンノ実)は、チューク諸島から東側のポンペイ島、コスラエ島、マーシャル諸島、キリバス諸島などの村々や離島でよく食べられている。ところでなぜパンノ実というのか?
それは、昔タヒチで初めてパンノキの実を食べたヨーロッパ人が「ワンペニーパン(コッペパン)に似た味がする」と言ったことから英語で「ブレッドフルーツ」と、それを日本統治時代に日本人が「パンノ実」と呼ぶようになった。
高さ10メートル以上の高木になるパンノ実は、先端がY字型の長い棒を使ってもぎ落とす。調理は日本のサツマイモと同じようで、丸ごと直火で焼いたり、適当な大きさに切って茹でたり蒸したりと至って簡単。パンノ実は採集する男にとっても、調理する女にとってもラクチンで重宝する実なのだ。
では肝心の味はどうか?これは甘みのないサツマイモのよう。醤油をかけて食べると日本人の口にも合う。水分が少ないため焼くとパサパサするが、薄くスライスして揚げるとポテトチップスのようで美味。
また、タロイモと同じく蒸すか茹でた後に潰して餅状にし、ココナッツミルクをかけるといっそうおいしくなる。パンノ実一個あれば大人一日分の主食になるので、小麦粉のパンよりも満腹感も持続する。
そのパンノ実の特筆すべき調理法がチューク諸島にある。
サンゴ礁島のチューク諸島では、ローカルフードのなかでパンノ実への依存度が高い。コスラエ島のファーファと同じように蒸すか茹でたパンノ実の皮を剥いでサンゴの杵で潰し、練りながらモチ状にする。これを日本統治時代に「パンモチ(現地名コン)」と呼び、チューク人は好んで食べている。
町のローカル市場へ行くと、葉に包まれたのパンモチ(1個2~3米ドル)が並んでいる。日本人がコンビニで弁当を買うように、昼になるとチューク人はこのパンモチを買いにやってくる。作りたてのパンモチは粘りのある餅のようだが、チューク諸島ではパンモチを葉に包んだまま数日間置いておき、発酵して少し酸っぱくなったくらいを好んで食べる人も。外国人は出来たてなら口にしても平気だが、数日間経って「すえた」ものはとてもアブナイ代物だ。
餅状にするのは昔からの調理法で、地中で「ウム(石焼き蒸し)」にして水をつけずに潰すと保存性が高くなるという。日持ちさせるには、練り潰すときになるべく手に水をつけないのがポイントというが、「今どきの人は実を潰すときに、熱くてがまんできずに水をベチャベチャつけるから、昔のようには日持ちがしない」と年配者は小言ぎみだ。
グアム島では、パンモチ一包みが5~6米ドルもするため、チューク人は大量に作ってグアム島へ出稼ぎにいっている家族に空輸するという。村々の家庭では、週末に一家総出でパンモチを作り置きするため、日本の餅つきのようなパン、パンという音が響き渡っている。
木の台と掌サイズの杵でつく「島流モチつき」は、チューク諸島やポンペイ島ではパンモチ、コスラエ島ではファーファ、パラオ諸島ではタピオカモチとなり現代に受け継がれている。私たちが島流モチつきのパン、パンという音に親近感を持つように、ミクロネシアの人たちが日本の代表的な保存食作り、正月の餅つきを見たら目を丸くするかもしれない。
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